「『エモい』ばっか使ってて、もったいなくない?」
どうも。HKといいます。
さて、いきなりですが質問です。
『エモい』とは?
「ヤバい、今日の夕日、エモすぎる…」
「この曲、エモくて最高じゃない??」
今や日本中の若者の共通言語である、『エモい』。
そんな『エモい』について思うことがあるので、
少し書いてみようかなと思います。
まずは『エモい』の定義をがんばってみようと思います。
そこからぼくのクソ持論を展開します。
定義:そもそも『エモい』って?
これ自体ナンセンスだと思いますが、まずは『エモい』の定義から。
色々なwebサイトを飛び回って見たところ…
『エモい』:
語源は英語の”Emotional”。
2020年を象徴する日本語。
「感動的な」「感情的な」「心が揺さぶられた状態」を指すときの言葉。
諸説はあるでしょうが、こんな感じでしょうか。
今や「寂しい」「哀愁がある」「悲しい」「しみじみ」「ヤバい」…などなど
何にでも適応できる超便利な言葉ですね。
それほど今の若者(ぼくも含む)は『エモさ』を求めているのでしょう。
まあ、本記事の問題はこの定義ではありませんのでここは軽く。
『エモい』の現状
冒頭や先ほども書いた通り、
若者の間では『エモい』一つで全て伝わる時代になりました。
もはや、『エモい』って言っておけば会話は成り立つ!
そんな気概すら感じます。
この、『エモい』を何にでも使うことを「『エモい』の消費」と呼ぶことにします。
「『エモい』の消費」に物申す
さて、本題はここからです。
よく言われる、
「『エモい』は、日本人の若者の語彙力を低下させている!!!」
こんなナンセンスなことを言いたいんじゃありません。
こんなことを大学生のぼくが言ったら友達減りますからね。
『エモい』の普及だけで若者の語彙力が低下すると思っている大人がいれば
それは大間違いです。
いまの大人が若者だった時にも、流行りの言葉がたくさんあったわけです。それと同じです。
強いていうなら、大人が、今の若者の活字離れのデータを持ってそれを言うなら、
説得力はあると思います。
んで、ぼくは『エモい』自体が嫌いなわけではないんです。
ぼくが言いたいのは、こうです。
「『エモい』ばっか使ってて、もったいなくない?」
これは、若者(ぼく)による若者(ぼく含む皆)への言葉です。
そう思う理由は、こうです。
・社会に出たら『エモい』なんて使わないんだから、練習しとこうぜ
・本当に大切な一瞬も『エモい』で消費するなら、それは『エモい』ではない
社会に出たら『エモい』なんて使わないんだから、練習しとこうぜ
僕たちが社会に出て、仕事現場では『エモい』は使いません。
自分の言葉で自分の気持ちを伝えるのが大事だと思うのです。
「そんなのわかってらい!うるせえよ!!」
ぼくもちょっと前まではそう思ってました。
でも、大学の部活、そしてテレアポのインターンでの経験から、考えが180°変わります。
大学の部活では皆をまとめる立場にいるのですが、
試合前にどんなに内容の良いスピーチをしても、ありきたりの言葉を並べて
「熱く語った風」じゃ、誰の心も動かない、と感じていました。
自分オリジナルの言葉、つまり「自分が何を感じて、いま何を伝えたいのか」
を言語化できないと、人に自分の感情は伝わらないのです。
また、テレアポのインターンでは、
お客様と面談の日程をゲットするために電話でゴリゴリと営業をかけていくのですが、
これがまあ難しい。
上手い人のテレアポを聴かせてもらったのですが、
お客様の心にズバッと響く言葉を言っていたんですね。
もちろん、ぼくのようなありきたりな売り込みフレーズではお客様の首はタテには振れません。
てことは、上手い人は「その人にしか言えない売り込み言葉」で、お客様の感情を動かしている。
そう思いました。
これらの経験から、人の心を動かす(=売上最強の営業マンになる、チームをまとめる、人と仲良くなる、彼女にプロポーズする、、、etc)には、「自分の言葉で語る」ことが一番重要なのかな?と思ったわけです。
これ、苦手な若者のあなた、いますよね(ぼくも)。
実は、『エモい』って、「自分の言葉」じゃないんです。
自分の今の感情や状態を表すのに、『エモい』一言で本当に伝わるでしょうか?
ぼくはそう思いません。
なら、『エモい』を使うより、今のうちから「本当に適切な言葉を使う」準備をしておくこと。
これが、「『エモい』ばっか使ってて、もったいなくない?」の一つ目の理由です。
本当に大切な一瞬も『エモい』で消費するなら、それは『エモい』ではない
この理由は、いささか感情的なものかもしれません。
例えば、高校で苦楽を共にした仲の友人と3年ぶりに再開して、酒を飲んで笑い合った夜。
これは『エモい』ですよね。
店を出て帰り道、
「今日、まじエモかったな(笑)。じゃまたな!!」
「久々に〇〇の話で笑い合えてまじ楽しかった(笑)。お前見た目は変わったけど、ハナクソを人につけるのは変わってなくて安心したわ。じゃまたな!!」
どっちを聞いた時、「良い関係だな〜」と思うでしょうか。
ぼくは圧倒的後者です。
旧友との再会を例に挙げましたが、こんな風な本当に大切な一瞬、
それすらも『エモい』で片付けてしまうのは本当にもったいないと思います。
これは1つ目の理由のように、別に自分の利益に直接繋がることではありません。
でも、せっかくの経験を無駄にしている気がするのです。
本当に大切な一瞬も『エモい』ならそれは『エモい』ではない。
どうせだったら自分の言葉で伝えたほうが自分も相手も気持ち良くない?
これが、「『エモい』ばっか使ってて、もったいなくない?」の2つ目の理由です。
クソ持論まとめ
今や若者共通言語の『エモい』。
ぼくは『エモい』が嫌いなわけではなく、
「『エモい』ばっか使ってて、もったいなくない?」
と思っています。
その理由は、
・社会に出たら『エモい』なんて使わないんだから、練習しとこうぜ
・本当に大切な一瞬も『エモい』で消費するなら、それは『エモい』ではない
こう思うから。
最後に、大好きなPunpeeさんの曲で締めくくらせてください。
夢追人 / Punpee feat. KREVA
動画・1:55〜
「えも言われぬ気持ちはエモいじゃない」
・肯定:「なんとも言えない感情って、それエモいよ。」
(エモいものはエモいよね。世代ごとの流行りの言葉は大事。)
・否定:「なんとも言えないような感情は、エモくない。」
(どんなことも言語化するのが人間だ。自分の言葉で伝えよう。)
リスナーの解釈は様々ですが、ぼくはこんな風に解釈しました。
ぼくも『エモい』を否定も肯定もしたくはありません。
偉そうなことをぬかしてますが、
ぼくもまだまだ『エモい』を無意識に使ってしまうことが多々あります。
でもそれじゃもったいないので、修行をしている最中です。
Punpeeさんのこの歌詞が『エモい』への物議を醸しているように、
ただ、この文章を読んで何かを感じてくれる人がいれば、それで嬉しいです。
長々と失礼しました。
では。
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Punpeeさんの曲も紹介されている記事はこちら。
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