*この記事はネタバレを含みます
「普通」って存在するのでしょうか?
第155回芥川賞受賞作品。
世の中に存在する「あっち」と「こっち」の「普通」について問うベストセラーです。
軽く読める文量でありながら、現代の「普通」を淡々と、痛烈に描写する一冊。
この本を読み終わった際に突きつけられる現実は一瞬空虚でありながら、
今一度世界への目の向け方を考えさせてくれます。
この記事は、まず本書のあらすじを紹介し、次に僕が本書の感想を述べていきます。
ではいきましょう!!
本の概要
タイトル:コンビニ人間
著者:村田沙耶香
出版社:文藝春秋
出版年月:2016年7月27日
ページ数:151
読了目安:2-3時間
あらすじ
古倉恵子は、36歳、独身女、フリーターでコンビニのアルバイト店員。
幼い頃から世の中の常識が分からず「普通」の人間の規格からは外れていた。
そのため人間関係は希薄で、コンビニの同僚の真似をしたり妹からの助言を頼りにしたりし、大学生になりようやく「普通の人間」を演じられるようになった。この瞬間は恵子にとって「初めて私が人間として誕生した瞬間」だった。
コンビニを人生の軸にした生活でなんとか「普通の人間」を演じていた恵子だったが、加齢と、それに伴う周囲からの「結婚もしないでずっとコンビニにいる、普通の人間ではない」という干渉が増え、その生活を続けるのは限界に達していた。
そんな恵子は、ひょんなきっかけから元同僚の白羽という男性と同棲することになった。彼も稽古と同じく少し変わり者で、現代のムラ意識に並々ならぬ反発心を抱いていた。
今まで「普通の人間」ではなかった恵子は、同棲を始めたことで周りから「普通の人間」との扱いを受けるようになり、戸惑いつつも「普通の人間でいられる便利なもの」として白羽を扱うようになる。
やがて、白羽の要求で、恵子はコンビニを辞め就活を始める。しかし面接先近くのコンビニにたまたま入店して店のピンチを救ったことがきっかけとなり、自分は「コンビニ店員」であることを強く再認識する。自分が「普通」でいられるコンビニ店員が唯一の生きる道だと再確認した恵子は白羽と別れ、復職することを心に誓う。
感想 〜人それぞれの「普通」がある〜
「コンビニは、世界の縮図だ。
私はコンビニのおかげで、皆の中にある「普通の人間」という架空の生き物を演じられる。
コンビニでは、全員が「店員」という架空の生き物を演じるのと同じですよ。」(本書 p.86より)
「『普通』でいること」の強迫観念。
多様性の重要さが囁かれる現在でも、この現実はが存在しているのは疑いの余地がありません。
主人公の恵子は「普通」の人間ではないように感じます。
だって、36歳なのに独身でフリーターで就活もせずコンビニでひたすら働き、でもって人付き合いが上手くないのですからね。
ん???
「普通」ってなんだろう。
この本の読者の多くが考える、恵子に対する存在の「普通の人」ってどんな人なんだろう?
あなたは、「普通の人」ってどういう人か言ってみてください、と言われたらなんと答えますか?
おそらく、多くの人はスラスラと「普通の人の特徴」を答えることができないでしょう。
答えられたとしても、「年収500万で〜〜」「こんな見た目の大学生で〜〜」みたいな話かと思います。それが「普通」ではないのは自明ですよね。
もちろん、僕も「普通の人」を答えるのは無理です。
そう、人間には「普通」は存在せず、人それぞれの「普通」が存在しているのです。
でも、なんで読者の私たちは、本の中の人たちは、恵子に対して
「普通じゃない」ということができるのでしょうか。
確かに恵子が殺人鬼だったら、もしくはコンビニで窃盗をしまくる人だったら、
それは確かに「常人」ではないかもしれません。
でも恵子は誰にも迷惑はかけていないし、なんなら自分を社会の歯車の一部だと感じているように、住みやすい世界を作ってくれているうちの1人です。
「私たち」と何も変わりません。
「私たち」は、無意識に世界を「こっち」と「あっち」に分けているのです。
「こっち」が普通、「あっち」が変人。
実際これは、人間の本能的にはしょうがないことです。
しかし、その境界を決めつけていないか?と作者は伝えたいのだと考えています。
僕はこの本はハッピーエンドだと感じました。
最後には、恵子が自分の「コンビニ店員」としての役割を再認識し、
身体中の細胞が喜んでいるという描写で終わります。
しっかり働いて、一緒に社会の一員として動いているのです。みんな一緒じゃないですか。
恵子は明示されてはいませんが、おそらくアスペルガー症候群気味なのではないかと思います。
しかし、そんな恵子もこの世界を住みにくいと感じながらも、必死に自分の居場所を見つけ、
私たちが作った「普通」の幻想世界に合わせようとしているのです。
同じ人間なのに、こう考えるとちゃんちゃらおかしい世界ですよね。
運よく「こっち側」になれた人、漏れてしまった「あっちの人」、
そんな境界線は果たして必要なのでしょうか?
心のどこかで、「私の普通から外れている人」を見下していないでしょうか?
「こっち側」だと思っている私の、あなたのその意識が
この世界をさらに住みにくいものにしているのです。
確かに、境界を作るのはしょうがないことだと思います。
しかし、その境界に疑問を持つこと。
つまり、「その人にとっての普通」を考えてみること。
排除せず、まずその人に視点になって考えてみること。
どんな人にも「その人なりの普通」がある。
「あっち」と「こっち」で境界を作ることに疑問を持とう。
そんなことを教えてくれた本でした。
さいごに
現代でもよくみる「普通」への議論。
無意識に排除していたり、差別していたり。
そんな自分を深い反省に促してくれる本です。
本記事では、普遍的な「普通」に対しての著者のメッセージを読み解くようにしました。
しかし、この本にはさらに多くの示唆が詰まっています。
結婚や性行為に関する示唆、職業差別に関する示唆、ジェンダー問題に関する示唆。
出そうとと思えばこの本の感想はいくらでも出てくることでしょう。
たった150ページで自分の意識を変えられるかもしれない、そんな本です。
ぜひあなたも読んでみてください。
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