「われ思う、ゆえにわれ有り」で有名なデカルト。
彼の思想を一通り理解するのに役立つ入門書の紹介記事です。
本記事は、本の概要紹介・デカルトの意外な二面性をピックアップしていきます。
本の概要
デカルトの生涯と彼の思想・思想体系についての入門書。
彼の思想は自然科学的な側面(特に数学・幾何学・力学)を中心としているため、部分によっては難解であるところも多い。
彼の論理はあくなきまでの自己懐疑から始まるとともに、その論理は平調と捉えられることも多く、『つまらない』イメージの強い哲学者かも知れません。
しかし、本書ではそのイメージを打破するデカルトの『道徳論』にまでしっかりと踏み込み、実は彼は「愛」や「他我」を何より重視する哲学者だという部分を強調します。
デカルトの全ての思想をまずは網羅してみたい、という方におすすめします。
デカルトの意外な二面性
「われ思う、ゆえにわれ有り」という『コギトの原理』を定立したデカルト。
「神が作るものは全て真理だ」という「永遠真理創造説」を前提とし、人間は「明晰判明」であればその神が作った原理を全て知りうる存在だという観念論・認識論を確立して、アリストテレスの経験的認識論を斥けました。
これによって、あらゆる現象は科学的に解明することが可能だという原理・前提が打ち立てられ、デカルトは近代の自然科学・形而上学の基礎となりました。
また、道徳の面では「動物機械論」を打ち出し、あくまで科学的な側面から全てを説明しようとする意思を貫きました。
こうみてみると、デカルトはなんとも形式ばって論理的かつ数学的で、しかも人間を「機械」と言ったり、なんだか論理がつまらないといったイメージを持っている方もいるかと思われます。
僕も今まではそのうちの一人で、「物理的自然」とか「数学的対象」とか難しいワードがたくさん出てくる『デカルトはつまらない哲学者』のレッテルを勝手に貼ってしまっていました。
しかし。
このイメージは彼の道徳論、「精神の能動」を説くと言った点で覆されることになりました。
デカルトは、自然現象を機械論的に説明しようとし、さらに動物や人間の身体も機械と同一視する「動物機械論」を打ち出しました。
これは彼の「極限まで疑う」というスタンス的には自然なことですが、僕らからすれば自然では有りません。なぜなら僕らは機械ではないからです。
しかし、デカルトも実はそう思っているのです。
一方で「動物機械論」を打ち出し、他方では「愛」とか「他我」とかのワードが出てくる「人間の精神の能動性」についても論じているのです。
これは意外なことだと思います。
なぜなら、何回も言っているように彼は世界全体を機械としてみている視点もあり、「人間の意志」なんてものは認めなさそうな哲学者だからです。
特に僕が印象に残ったのは存在論的な思想から導かれる「高邁」の概念です。
ここにデカルトの人間らしさが見えました。
「高慢」とは、
とデカルトは述べています。
え、これがデカルトの言っていること?本当に?と正直驚きました。
だって、さっきまで「人間も動物も機械かも」って言っていた人ですから。
デカルトは、一方では「科学」が支配しようとしているという考えには抗わず、自然科学的な面からその基礎を打ち立てました。しかし他方では、「心」の精神的価値を最も重要視し、人間の情念や道徳を何よりもモットーにしたのです。
こんな二面性を持った哲学者が他にいるでしょうか。
彼の理論は確かにつまらない部分もあるかも知れませんが、これは本当に面白いものがあります。
ぜひ、「デカルト入門」であなたも味わってみてください。
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