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選択されなかったもう一つの近代|『はじめてのスピノザ-國分功一郎』

書評
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スピノザ思想に興味がある人

少し異質な哲学をのぞいてみたい人

におすすめな入門書です。

「スピノザの哲学は、デカルトの哲学と対立する『選択されなかったもう一つの近代思想』をあらわしている。」

科学的で論証的な近代思想とは異質のスピノザ思想を読み解く、

スピノザの主著『エチカ』をベースにした國分功一郎氏の新書です。

本記事は本の概要紹介興味深い部分のピックアップその感想を述べていきたいと思います。

ではいきましょう!

本の概要

タイトル:はじめてのスピノザ 自由へのエチカ

著者:國分功一郎

出版社:講談社現代新書

出版年月:2020年11月

ページ数:181

読了目安:5-6時間

現代では、『自由』という言葉は『新自由主義』というような仕方でしか使われなくなってきました。これは『自由』とはいえど多くの人に過酷な責任を負わせ、生きづらさの原因のひとつにもなっています。

スピノザは『自由』の全く新しい概念を教えてくれます。

本記事冒頭で述べたように、スピノザの思想は、近代科学の基礎ともなっているデカルトの思想と対立します(最後まで本書を読めばわかりますが、対立はしても共通点があるのが面白いところだとも思います)。それもあり、スピノザの考えている『自由』は、現代を生きる私たちと少し違っている点が多く、國分氏が仰るように、理解するためには『頭のOSを切り替える必要がある』思想だといえます。

そんな難解なスピノザの思想を初学者向けに噛み砕いて、かつ論理のベースは外さずに理解するための本となっています。

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道徳 vs 倫理 〜自分がいる場所でどう生きるか

スピノザの主著はお馴染みの『エチカ』です。

『エチカ』というこの場は、ラテン語でethica、つまり『倫理学』を表します。

倫理学とは、ごく簡単にいえば『どのように生きるか』を考える学問のことです。

有名な『トロッコ実験』。

本書を通読し、僕はスピノザの『倫理』が、いわゆる『道徳』と対局にあるものだという印象を受けました

(これは本書でもかなり明確になっているところではありますが笑)

本書を少し切り抜くと

「仮に道徳が超越的な価値や判断基準を上から押し付けて来るものだとすれば、

 倫理というのは、自分がいる場所に根ざして生き方を考えていくものだと言えます。」

と著者は説明します。

もう少し深く、本書に沿って『道徳』と『スピノザの倫理』の関係を考えてみたいと思います。

道徳とは?倫理とは?

道徳は、小学校の道徳の授業でも習うように、「人には優しくしましょう」とか「ご老人は大切にしましょう」とか、一定の価値観や判断の材料を等しく、普遍的に教えるものだと思います。

一般的観念とか言い換えられるものでしょうか。

イメージでいうと、何か道徳という名の神様みたいなものが僕たちの脳内の価値判断基準を操作しているような感じ?

これとは逆に、スピノザの倫理観は、個人から出発し、その個人がまずは『完全性』を備えていることを前提にし、『組み合わせで善悪』を考えていく、その都度価値観や判断を変えていくものだと思います。

完全性』とは、存在している個体は、それぞれがそれ自体の完全性を備えているということ。

個体が『不完全』だと言われるのは偏見に基づいた観念のせいである。

このスピノザの前提では『心身の障がい』とか『男らしさ』とかの一般的観念が存在しない。

個体は、それ自体が一個の完全な個体として存在する、というのが『完全性』の意味です。

そして『組み合わせの善悪』とは、「自然界の全てのものはそれ自体には善も悪もなく、上手く組み合わさるときと、上手く組み合わさらないものがある」という考え方です。

例えば、「音楽」を例にします。

憂鬱な人には、音楽はそれを癒してくれる可能性が高く、その場合は音楽はと言えます。

友人の死を悲しんでいる人には、音楽はその悲しみに浸るために邪魔なものかもしれません。その場合は音楽はと言えます。

耳が不自由な人にとっては、音楽は善でも悪でもありません

このように、『善悪』はその都度の環境や状態で組み合わせてから判断するものであるというのがスピノザの倫理観です。

この『完全性』と『組み合わせの善悪』を前提にすると、『道徳』があまり意味を為さなくなるということがわかると思います。

道徳は偏見に基づく観念であり、倫理はその点で柔軟だからです。

そしてスピノザは、この善悪の判断には実験が求められる、と言います。

道徳に則って何かを拒否するのではなく、個々人の差異や状況を判断に入れて強制せずに注意するべきだ、ということです。

ここまでを理解して、僕は大学のサッカー部での自分の行動を反省し始めました。

日常に応用するスピノザの倫理 〜大学サッカーにおいてのスピノザ

例えば、僕は強豪校出身で、僕のチームでは他の人よりサッカーが(技術的に)少し上手いです。

そして、現在所属するサッカー部はレベル的には高いとはいえず、初心者も一緒に練習するような、今までとは少し差がある環境です。

そこで、例えば、他の人からアドバイスを求められた時。

いくら気をつけていても、『自分が今まで培った道徳』で判断し、『自分が思ういいこと』をアドバイスしてしまいます。

このような事象は仕事でも、インターンの場面でもあるあるなのではないでしょうか。

ここで意識したいのが、先の『スピノザの倫理』なんじゃないのかな、と思います。

あえて超絶簡単にいうなら、『相手の立場に立って考えてみる』こと。

(スピノザは個人の自由を追求した哲学者だと思いますが、これはあくまで応用ということで許してください)

まず前提となるのは、そこには最初に『完全性』があり、まだ『善悪』ないということ。

まずは、その人の完全性を認める。自分だったら…とかいう偏見は捨てる。

次に、サッカー部の状況、レベル感、グラウンドの状態のようなことを鑑みてから、アドバイスの対象の選手のプレーを分析したりして(この際にも選手の技術レベル、肉体的な強さ、足の速さなど色々な状態を視野に入れます)、はじめてその時の『倫理観』に基づいたアドバイスができるのかなと思います。

現在はコロナ禍で練習はできていないですが、再開後にはこのような『スピノザの倫理』を肝に銘じて取り組もうかなと考えています。

自戒です。

少しでも本書が気になってくれた方は、ぜひしたのリンクから購入してみてください!

頭のOSを入れ替える』のは意外と楽しかったりしますよ!

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