コロナ後の、あるいはコロナ禍の世界(監視社会)を民主的で自由なものにするためには?
本書はこの論点を中心に進んでいきます。
この解決策がモニタリング民主主義であり、神的暴力の導入であると著者は述べています。
本記事は本の概要紹介、次にモニタリング民主主義の説明という流れで進めていきます。
本の概要
前半部分の『ポストコロナの神的暴力』では、コロナ後・コロナ禍の「新しい生活様式」の問題点や展望について、それに伴う監視国家・監視資本の危険性や対抗策について論じられています。
モニタリング民主主義や神的暴力の導入の必要性が強調されており、哲学のみならず政治や経済に興味のある方にもおすすめできる内容です。
後半部分の対談では、「新しい生活様式」の問題点や展望について、さらに詳しく哲学的・また自然科学的に著者が深掘る内容となっています。
前半部分と同じく、哲学思想のみならず経済や政治にも深く関係する内容となっています。
あまりその方面の教養がない方でも理解できる内容なので、コロナ後・コロナ禍の私たちの生活について興味のある方は気軽に手に取ってみてください。
モニタリング民主主義とは?
著者の大澤氏は、コロナ後・コロナ禍の「監視社会」に対抗し、私たちが自由に・民主的に生活を送るためには『モニタリング民主主義』の導入が好ましいと述べています。
では、モニタリング民主主義とは一体何か?
なぜ、導入されることが望ましいのか?
これらについて簡単に説明していこうと思います。
まず、監視社会とは?問題点は?
監視社会とは、国民一人一人が個人レベルで個人情報を抜き取られ、それが国家や私企業に監視・使用されている社会のことです。
この「監視」は、最新のテクノロジーの発展とともに急速に進んでいます。
例えば中国では街中にすでに二億台の監視カメラがあり、ネットの書き込みはアプリ企業を通じて政府に送られます。
この個人監視の技術はビッグデータの活用としてコロナ禍で絶大な効果を発揮し、有効な感染対策になりました。
これから世界のオンライン化が進むにつれて、さらにこの「監視社会」は定着していくでしょう。
しかしこの監視社会の問題点は「私たちの自由が奪われている」という点にあります。
私たちはネットサーフィンをしたり、買い物をしたり、動画を見たりして楽しみ、インターネットで欲しいものを得ています。こうして私たちは自由に生きているつもりです。
しかし、私たちはこの時に得ているもの以上を監視社会に渡してしまっているのです。
そう、個人情報です。
この個人情報をもとに、監視資本は私たちの自由を奪っていきます。
私たちが本当に欲しくて買っていると思ったものも、実はAIが誘導した物かもしれないのです。
このように私たちは無意識に「自由な自分」を「監視資本が提供する自分」に置き換えてしまうのです。これが、監視社会の大きな問題点です。
監視社会への対抗策、モニタリング民主主義
上記のような監視社会への解決策として、「モニタリング民主主義」が挙げられています。
モニタリング民主主義とは、『市民が監視政府・監視資本の動きを不断にモニターする』という意味です。
そしてそれを現代の監視社会に適応させたのが、『IT版モニタリング民主主義』です。
個人への監視の強化はもう避けがたい。のであれば、一種のモニタリング民主主義で対抗だ!という考えを大澤氏は述べています。
政府のセキュリティ部門やGAFAなどの監視資本は個人を監視しています。
しかし、考えてみれば、情報を収集できる能力を持ったのは、このような政府や大企業だけではありません。誰かが個人情報を集められるようになったということは、データを秘密にする方が難しい、というこのを示しています。
この「秘密にすることの方が難しいデータ」とは、もちろん政府やGAFAのデータも含まれます。
つまり、その政府や監視資本のデータを監視できれば、監視する行為が合法的な市民運動となれば、私たちは監視社会に対抗し、自由で民主的な生活を送れる。
具体的には、例えば政府のセキュリティ部門のデータ管理者が、政府が個人情報を悪用すればいつでも告発し、訴えることができれば私たち市民も「監視」という武器を手に入れたことになります。
そして、これこそが「神的暴力」だと言います。
以上が、大澤氏が『IT版モニタリング民主主義』を提唱する理由でした。
かなり論理を端折ってしまったり、補足も無いので伝わり切ったかはわかりません。
気になった方はぜひ本書を通読されることをおすすめします。
これからの私たちの生活を考える上で、重要な視点が得られる良書です。
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ではまた!!
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